モノマネメイク

有名人のモノマネメイクで話題のタレント「ざわちん」。女性タレントやアイドルのみならず、外国人モデルや男性タレントに至るまでメイク技術を駆使してモノマネメイクを披露している。
毎回モノマネ対象の人物の特徴をとらえて、メイクで似せていく手法には感心させられる。特に、若い女性であるざわちんが自分よりも年上の、それも男性に扮してメイクで近づけるというのは一つの才能だろう。
しかもこのメイク技術は独学で培っていったものだという。メイクが”芸”になる時代。時代によって何が人を魅了するかは分からない。

2010

中村俊輔は、2010年南アフリカWカップ杯でレギュラーを外され、ベンチで過ごす事になった。
この事が一つの転機になったと言う。
自分の不甲斐なさに悩み、一皮むけるきっかけとなったのだろう。
その後の躍進へとつながっていった。
こういう時期がスポーツ選手にとっても貴重な時間なのだと思う。

インディアン

インディアンが住むアメリカ大陸に、ヨーロッパ人が渡来した1607年が、アメリカにとっての転機となった。
文化の発展と、北米の植民地化、様々な変化が起きたのだった。
そしてそこから、アメリカ合衆国の独立へと発展していく。
もし1607年からの闘いがなければ、その後はどうなっていただろうか。

今度は

TUTAYAが今度はライヴハウス事業に進出する様だ。
あのShibuya O-EASTを初めとする渋谷の4ライヴハウスの命名権を取得したらしい。
ライヴとソフト販売がうまく融合するだろうか。
ライヴを観て盛り上がり、その後CDやDVDを購入するのは確かに自然だ。

二つの転機

モハメドアリに無名のボクサーであるチャックウェブナーが挑み、大善戦した試合をシルベスタースタローンが観戦した後、3日間で書き上げたロッキー。このことがスタローンにとっての本当に大きな転機となった。
また、同時に退廃的なアメリカンニューシネマ全盛の時期に、希望と挑戦を訴えかけるロッキーが、アメリカ映画の転機ともなったのだ。
もしこの試合をスタローンが観ていなかったら、その後の彼と映画界はどうなっていただろうか。

革新的な

明治維新によって、日本は大きく変貌を遂げた。
西洋の文化を取り入れ、類まれなる成長を遂げたのは、やはり大きな分岐点と言ってよいだろう。
近代国家がここから誕生した。

日本で

テレサテンは既にアジアのスターだったのだが、当時ポリドールに居た舟木稔が足しげく台湾に通い、テレサの両親を説得して日本デビューに至る。
これが正に転機だった訳だが、もし日本で売れていなかったらどうなっていただろうか。
実際、アイドル路線だったデビュー作は失敗に終わっている。
そして2曲目の「空港」がヒット。
紆余曲折を経ながらも、彼女はアジア圏で絶大な人気を誇る様になっていく。

キルケゴール

キルケゴールの名言の多くは、断言的で偏っている様にも感じる。
究極は、全てか、しからずば無。
オールオアナッシング。
キルケゴールがこの様な哲学に至ったのは、一体何があったのだろうか。
数か月に渡って誌上で嘲笑されたコンサール事件が一つの転機になったと言われている。

おせち

グル―ポンが、かつてのおせち問題を逆手に取り、おせちを大々的にアピールし始めた。
フラッシュマーケティングとして脚光を浴びたサービス、日本ではほとんどの企業が撤退している。
おせち問題がなくても、終焉は目に見えていたが、あれが一つの大きなキッカケとなったのは間違いないだろう。
どうなる事か。

日本人のメジャーリーグ

日本人初のメジャーリーガーは、村上雅則で、1964年の事だったが、2年間のみの在籍だった。
それから実に31年。
野茂のドジャース入りである。
正にパイオニア的な存在で、その後日本人が当たり前の様にメジャーでプレーする事になるとは、この頃は誰も思わなかっただろう。
本当に凄い転換点だったと思う。
先駆者には批判もつきまとうが、それをはねのけたのだから凄い。

Categories
Bookmarks